性は「自然」なのか?――「生まれつき」というLGBTQ理解への疑問

たしょまの報道

「セクシュアリティは自然なものではない?」という説が紹介されている文献が存在しています。

その文献とは、小林昭博さんの『同性愛と新約聖書 古代地中海世界の性文化と性の権力構造』です。

まず前提として、この本のポイントは「同性愛がおかしい」ということではなく、同性愛も異性愛も含めた「セクシュアリティ」という枠組みそのものが、実は近代に作られたものだという話です。

なお、セクシュアリティとは、「人間の性のあり方の全般」という意味となっています1

フーコーが「セクシュアリティ」(sexualité)を「自然」(nature)から切り離し、近代西洋社会が発明した「ひとつの新しい装置」(un nouveau dispositif)として認識し、この装置に「セクシュアリティの装置」(le dispositif de sexualité)との名を与えたとき※、現代のセクシュアリティ研究は新たな歴史の幕を開けたのである。

2

こちらの引用ですが、従来、セクシュアリティというのは生まれつき備わった「自然」なものだと考えられてきました。

しかしフーコーは、セクシュアリティを「自然」から切り離して、近代西洋社会が作り出した「装置」、つまり人間が勝手につくりだした枠組みとして捉え直したわけです。

この枠組みの問題は「性的指向」という概念にも表れています。

性的指向というのは、性的意識が同性・両性・異性のいずれかに向かうように「内的に方向づけられている」とする考え方です3

自分の意志で選ぶことが可能な「性的志向」や性的好みとしての「性的嗜好」とははっきり区別されるものとして定義されています4

生まれつきの内的なものだという定義というのはどう問題になるのでしょうか?

この問題について小林さんは、河口さんの『クイア・スタディーズ』pp. 54 – 56、玉野さんの「同性愛の『原因』とは?」pp. 40 – 43 を踏まえ、こう整理しています5

性的指向が「内的に方向づけられている」と定義する以上、その方向づけの原因を生物学的に突き止めようとする本質主義に回収されてしまう、ということになります6

ではこの問題について解決方法はあるのでしょうか?

小林さんは、本質主義と構築主義の二項対立そのものを脱構築する必要があると述べています7

この考えはバトラーの『ジェンダー・トラブル』と、セジウィックの『クローゼットの認識論』を参考にしたようです8

つまり、「性の在り方は生まれつき決まっている」という本質主義をただ否定して「すべては社会的に構築されたものだ」という構築主義に置き換えても、それは構築主義という名の本質主義にすぎない。イデオロギーの構造は同じということになります9

この件について、哲学系大学院生のたしょまはこう述べています。

たしょま:

これは同性愛者にも異性愛者にも共通することですが、自分がどの性別を好きかということ自体は自由です。

たしょま:

ただ、その「好き」の感覚が、本当に自分の中から出てきたものなのか、それとも社会的な枠組みに影響されて形作られたものなのか、その区別は意識しておいてもいいのではないかと思います。

たしょま:

今回の文献が示しているのは、私たちが「自然だ」と思っているセクシュアリティの枠組み自体が歴史的に構築されたものだということです。そのことを知った上で自分の性の在り方を考えるのと、知らずにいるのとでは、違いがあるのではないかと思います。

たしょま:

そう考えると、「私は同性愛者、異性愛者である。」という他者から与えられたカテゴリーに自ら当てはめること自体に、何か感じるものがあるのではないでしょうか?

1京都外国語大学「セクシュアリティ」https://www.kufs.ac.jp/cms_image/up_img/shintyaku/2016/tetoto/07_tetete_se.pdf (2026年5月9日閲覧)

2小林昭博『同性愛と新約聖書  古代地中海世界の性文化と性の権力構造 』風塵社、2021年、p. 44。

「※」は原文では脚注「5」であった。5の内容は次のとおりである。ミシェル・フーコー『性の歴史Ⅰ 知への意志』渡辺守章訳、新潮社、1986年、pp. 136 – 137。Michel Foucault, La volonté de savoir (Paris: Gallimard, 1976)、pp. 139 – 141.

3小林昭博『同性愛と新約聖書―古代地中海世界の性文化と性の権力構造』風塵社、2021年、p. 55。なお、著者は小林昭博「当事者性の回復――ヘテロセクシュアルの応答」『アレテイア』第24号、日本基督教団出版局、1999年3月、p. 19を参照している。

4小林昭博『同性愛と新約聖書―古代地中海世界の性文化と性の権力構造』風塵社、2021年、p. 55。なお、著者は小林昭博「当事者性の回復――ヘテロセクシュアルの応答」『アレテイア』第24号、日本基督教団出版局、1999年3月、p. 19を参照している。

5小林昭博『同性愛と新約聖書―古代地中海世界の性文化と性の権力構造』風塵社、2021年、p. 56。

6小林昭博『同性愛と新約聖書―古代地中海世界の性文化と性の権力構造』風塵社、2021年、p. 56。

7小林昭博『同性愛と新約聖書―古代地中海世界の性文化と性の権力構造』風塵社、2021年、pp. 58 – 59。

8小林昭博『同性愛と新約聖書―古代地中海世界の性文化と性の権力構造』風塵社、2021年、p. 59。具体的には著者はバトラーの『ジェンダー・トラブル』pp. 60 – 73、pp. 199 – 227(このページのなかで著者が「特に」と強調しているのはpp. 69 – 71、p. 224でです。)、 と、セジウィックの『クローゼットの認識論』 pp. 41 – 51、pp. 55 – 60を参照している。

9小林昭博『同性愛と新約聖書―古代地中海世界の性文化と性の権力構造』風塵社、2021年、p. 59。

コメント

タイトルとURLをコピーしました