序論
ヘルダーの人道主義的思想はいかなる特徴を有し、それはヤン・フスの聖書観とどのように異なるのか。本稿では、両者の立場を参照しつつ、その共通点と相違点を明確化することを目的とする。
本論
ヘルダーは、聖書を主として文学的・文化的作品として読解する立場をとる。(“Herder’s Biblical Studies.” Cambridge Core, Cambridge University Press,
https://www.cambridge.org/core/books/abs/companion-to-the-works-of-johann-gottfried-herder/herders-biblical-studies/D1D25D3AADE7EADE1CEC2567198FBA0F. Accessed 4 Dec. 2025.)。
これに対し、フスは、聖書を神学的真理の直接的源泉として捉えていた。彼らにとって聖書は、信仰実践における最高権威であった(石川達夫『マサリクとチェコの精神――アイデン ティティと自律性を求めて』、成文社、1995年、p. 30。)。
両者は方法論的には大きく異なる。前者は文学・文化的側面から聖書を読み解こうとするのに対し、後者は神学的・規範的観点から信仰のあり方を導き出そうとする。しかしながら、聖書そのものがイエスの生と教え、物語や詩、知恵文学、倫理的・哲学的洞察といった、多様なものを内包していることを考慮すれば、両者の読解が最終的に向かう方向は必ずしも乖離しない。すなわち、「人間とはどのように生きるべきか」という根源的問いに向き合うという点で、両者は共通の地平を共有しているといえる。
結論
ヘルダーとフスは、聖書に対するアプローチにおいては、文学的・文化的読解と神学的・規範的読解という対照的な方法を採用している。しかし、両者が最終的に追究するのは、聖書が提示する人間の在り方に関する本質的問いであり、この根源的目的において両者は共通している。したがって、両者の読解法は異なりながらも、聖書を通じて人間としての生き方を探求する点で接点を持つと結論づけられる。


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