「ドブロフスキーはフス派の継承者か――ペカシュによるマサリク批判の検討1」

ペカシュは、ドブロフスキーがフス派の継承者であるというマサリクの主張を、根拠不十分として否定している1。なお、マサリクがあげた根拠としては以下の二つがある。

・啓蒙時代において、ドブロフスキーはチェコの異端書を迫害したイエズス会のことを非難した点2

・フスを擁護しているロイクをドブロフスキーが称賛した点3

なお、これらの根拠は他の動機でも可能なものであり、ドブロフスキーがフス派の継承者であるという事実認定はまだできない。

さらにペカシュはドブロフスキーはフスに関連する思想にはほとんど触れていない根拠を加え4、ドブロフスキーの原動力はフスよりもチェコ語に対する愛であったという主張をし5、マサリクの主張の根拠不十分さをより明確にしている。

以上の点から、実証主義的に考えれば、マサリクの主張よりもペカシュの主張の方が妥当性があると思われる。

しかし、ドブロフスキーはフス派の継承者であるというマサリクの主張は、実証主義的な視点で論理を組み立てていないと思われる。

石川達夫によると、マサリクは過去の事実としての歴史ではなく、チェコ人の精神的再生のための理念を作ることが主目的であるとのことである6

その根拠として、マサリクが『ヤン・フス』において、チェコ人はフス民族と自称することを好む一方で、「我々の再生の網領は宗教改革の伝統の継承であるべきだという意識が弱い」ため、まだフスの民族であるとはいえないと述べていたことを掲示している7。ここから、マサリクが独自で作ったstoryとしてhistoryを語っている説には、一定の合理性があるが、確たる証拠とはまだいえないと思われる。

また、本稿ではまだ限られた引用の一部に基づいているため、参照した文献やマサリクの一次文献の読解によって補強する必要がある。

1Josef Pekař, Masarykova česká filosofie (Praha: Nákladem Historického klubu, 1912), 10.

2Josef Pekař, Masarykova česká filosofie (Praha: Nákladem Historického klubu, 1912), 7.著者はおそらく、Tomáš Garrigue Masaryk, Česká otázka: snahy a tužby národního obrození (Praha: Pokrok, 1908)を参照したとみられる。使用版不明。

3Josef Pekař, Masarykova česká filosofie (Praha: Nákladem Historického klubu, 1912), 6–7.著者はおそらく、Tomáš Garrigue Masaryk, Jan Hus: Naše obrození a naše reformace (Praha: Čas; Třeboň: Karel Brandeis, 1899)を参照したとみられる。使用版不明。

4Josef Pekař, Masarykova česká filosofie (Praha: Nákladem Historického klubu, 1912), 8.著者はドブロフスキーが書いた『ボヘミア語と言語文学史』を参照したとみられる。初版は1792年である。

5Josef Pekař, Masarykova česká filosofie (Praha: Nákladem Historického klubu, 1912), 10.著者はドブロフスキーが書いた『ボヘミア語と言語文学史』を参照したとみられる。初版は1792年である。

6石川達夫『マサリクとチェコの精神――アイデンティティと自立性を求めて――』成文社、2004年、pp. 18–19.

7石川達夫『マサリクとチェコの精神――アイデンティティと自立性を求めて――』成文社、2004年、pp. 18–19.※著者はTomáš Garrigue Masaryk, Jan Hus: Naše obrození a naše reformace (Praha, 1923), 9.を参照している。

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